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  何気なく気付いたこと 面白かったこと 体験談などを気ままに書いていきます。

金毘羅神社
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  昨日は、水道橋の金毘羅神社に行きました。

今受けているセミナーでの今回の宿題の一つに、

金毘羅神社に行くという課題があるものですから早速行ってまいりました。



水道橋の駅を降りると、

日曜ということもあって 人の波の中でした。

金毘羅神社は、この雑踏の中から一歩脇道にそれただけの、

ビルの谷間にあります。

緑の小さな塊があって、それが金毘羅神社でした。


神社はほんの小さな敷地ですが、

緑の壁に守られて外界から隔てられた異空間を作っていました。

そこに一歩踏み入れた途端に、

都会のど真ん中を忘れるくらいに静寂の中でした。



私がそこに来るのを待っていたかのように、

金毘羅神社の境内に入るとメルヘンの世界が展開しました。


手水舎の水溜りではヒヨドリのような・・

でもそれよりも丸くて愛嬌のある鳥さんです。

私の身体がすぐそばにあり、視線がすぐそばにあるのに、

鳥さんは頭から水中に入っては出て 身づくろいをし、

また水中に潜っては出て 身づくろいをするを繰り返して、

    「気持ちいいよー、ほらこうやって楽しいことや嬉しいこと、

     気持ちのいいことをやって過ごせばいいんだよ。」

と言っているようでした。



私が充分に鳥さんを楽しみ 癒された時、

鳥さんは何かを思い出したかのように緑の中に飛んでいきました。


次いで、視線を緑から水辺に戻そうとした途端、
 
大きなブルーの蝶が目の前をひらひらと飛んで、

本殿の中に入っていきました。



ブルーの大きな蝶が・・・えっ・・・!

不思議な気分でした。


セミナーの課題の一つに、奇跡を起こすというものもあります。

この都会のど真ん中でブルーの蝶を見る・・・、これも奇跡・・? 


   私たちは奇跡の中に生きているようなもの。

   こうして生きていることさえも、当たり前ではなく奇跡。
 
   奇跡とは特別なものではない。

そんなメッセージをブルーの蝶が伝えてきたように感じました。


木漏れ日がキラキラと降り注ぎ、

木陰の涼しさに身を寄せながら、

真空の静寂に入り込んだ心地よさの中で、

次第に時間軸という概念が薄れていきました。

ただ、ここにいるだけでいい…そう感じていました。



そして、もう一つの課題。

最高の自分を表現したイメージの絵を描いてくるという課題です。

以前描いたインコ夫婦の背景に、

最高の自分になったイメージとしてのペガサスを描いてみました。



インコ夫婦は私の母の哀しみを表現したものです。

なぜなら今の母は、インコ夫婦のように夫に寄り添えない

寂しさと嘆きで生きています。

以前から比べると大分自分を取り戻したものの、

あのころの私・・・と、過去に思いを寄せて

今ここを受け入れることが出来ません。

DSCN2593.jpg ペガサスの絵はまだ下描きです


ペガサスは、

時空間を超えた存在であり、思考の枠も超えています。

ペガサスの願いは、

全ての判断、すべての事象が祝福され光で満たされていきますように。

そう願ってやみません。



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あまり変わり映えしないのですが、漫画チックに出来上がりました。
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母の孤独
私には85歳の母が居ます。

先日、90歳になる父のことはブログに書かせていただきましたね (^_^;)
  相変らず「たいくつだな。」と言っています。
  そして、一人の世界に入っています。


ですから、母は言います。
  「寂しいの・・・一人ぼっちだなって思う・・・孤独なのよ~。」
  と言って泣いて訴える。

父が居ても孤独な母。


そんな母の様子を見ていて、
 先日、母と2人のドライブ途中、公園の片隅に車を止めて
 母に聞いてみた

小さなとき、親に甘えたり甘やかされたという思いはあるの?

親の胸で充分な温かさを感じただろうか?

安心感は得られたのだろうか?

そんな問いに対して母は
 「よく覚えていないけど、私だけが怒られなかった。
  妹たちは蔵に閉じ込められたりしたのにね。」

そうなんだ、母親を困らせないようにしたのかな?

母親代わりもしたのかな?

 「私はね、母親が言う所では夜泣きがひどくてね。
  同居していた叔父に ひねりつぶしちゃえ って言われて
  弟の授乳をしていた母親のお乳が出なくなったんだって・・。」

そうか、もしかしてその言葉を小さい自分がきいてしまっていたら、
自分のせいだって思ってしまったかもね。

そして、生きていてもいいのだろうかって思ったかもね。

そんなことを話した。


  母は5人姉妹の長女として、妹達の模範的お手本的な立場で頑張ってきた。

  母親に甘えることをせず、いい子をやって来た。

  役に立つことをして、親に褒められることが自分の居場所だと感じた。

  褒められないと、認められていないと感じる。
 
  だから、否定されることが死ぬほど怖い。



そこで、私は母にゆったりと座って軽く目を閉じてみるように促した。

小さい自分・・・夜泣きをしていた頃の小さい子の年齢を教えて・・・。

その子は3歳なのね。

3歳のチャイルドは何か言っているだろうか?

抱きしめて感じてほしい、チャイルドが感じていることは何、
                 何を望んでいるのか、何を言いたいのか・・・。

チャイルドに寄り添ってあげて・・・、ただあるがままを受け入れてあげてね・・・。




母は涙をポロポロこぼしはじめた。

チャイルドの心に触れることで、チャイルドの痛みが溶けだしていくかのように
涙となって流れはじめた。

今ここで

チャイルドの気持ちを充分に感じてあげるだけ。

抑圧していた感情を溶かしてあげるだけ。



母は、孤独で分離していなくてもいいように長年父を頼ってきた。

その父に頼ることが出来なくなった今、一緒に居てくれる誰かを欲するようになった。


寂しいのよ~! 孤独なの~!と言ってさ迷いはじめた。


そして、どんなに外側に自分の孤独を埋める糧を求めても、それが叶わないということを
無意識に感じていた。

自分の内側にある 「足りない。」という叫び。

自分の内側にある 「満たされない。」という叫び。

それに気づいてあげることが 

自分で満たしてあげることが

唯一の方法だということを知った。


母は言う

「 あらら~!

 なんだか 胸のあたりの塊が無くなって軽くなったみたい。」


やっと自立が出来るかな (^-^)

85歳の母に 万歳

きっと もっといい人生を見出せるよ。

今からでも遅くない

目覚めの時は その人が準備できた時に起こるからね。















人生を楽しむという選択
私達の生き方には                 DSCN2466.jpg軽井沢は桜が満開でした

 抵抗したり、しがみつく生き方もあれば

 人生を楽しむ生き方もあります。

  人生を楽しむとは
 
 人生と戦うのではなく
 
 人生の贈り物を味わうということです。



知覚し過ぎ去っていく人生の数々の経験

人生を生きるとは、一瞬一瞬の経験を通り過ぎていくこと

経験を深く味わい通過させていくこと

それを ただ観じていくだけ





前置きが長くなりましたが

皆様はゴールデンウイークをどうお過ごしになりましたか?



私は 家族水入らずの時を過ごしました。

娘達はそれぞれ仕事を持って生活していますので

軽井沢のホテル集合ということになりました。



思いっきり遊び

思いっきり食べました

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湖で遊び   森を散歩し 
フレンチのコースの後のデザートを思いっきり食べました




ただ遊ぶ喜びの中

ただ食べる喜びの中

あれも欲しいこれも欲しいという自分を面白く観じ

陽に焼けそうと言って恐れている自分を面白く観じて

すべては自分の宇宙の中で楽しんでいるんだな~! と

そんな感じでした。



すべての抵抗を手放すことができた時

リラックスしている自分に気付きます。
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そうか リラックスって 人生を楽しむ選択をしていることだったのかも

と、 気付いたのでした。
 
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