昨日は、娘と共にヒーリングを受けてきました。
私の友人は、昭島市でヒーラーとして開業しています。
勝手にヒーラーと言っていますが、彼女にしてみるとセラピストなのかも知れません。
彼女の世界は、信じる信じないの領域を超えて、当たり前に石や木や動物等と会話をしています。彼女を見ていると、心が真実を見る時、私たちは忘れ去った記憶を思い出して、全てのものと繋がり、全てのものと会話が出来るのだということを感じます。
真実を見るということは、当たり前に出来ることなのに、世の中の一般常識が作り出す[こうあるべき]という生き方が見えなくしているのではないでしょうか?
彼女からのヒーリングは、5大天使やアセンデッドマスターのエネルギー伝授でした。彼女の説明では、天使やマスターたちは、呼ばないと来ないのだそうです。人間に介入することを好まないのかも知れませんね。
このような存在と繋がり、助けを求めることで、不足している力を貰い、必要の無くなったエネルギーを解放することが出来るのです。遠慮をする必要がないのです。
でも、世の常識は、与えられたらお返しをしなくてはとか、頂いたら何かを取られるのではなどと、勝手に怖れを抱くことで、それらの恩恵を受け取れなくなっているような気がしました。
さて、皆様はどう思いますか?
私の友人は、昭島市でヒーラーとして開業しています。
勝手にヒーラーと言っていますが、彼女にしてみるとセラピストなのかも知れません。
彼女の世界は、信じる信じないの領域を超えて、当たり前に石や木や動物等と会話をしています。彼女を見ていると、心が真実を見る時、私たちは忘れ去った記憶を思い出して、全てのものと繋がり、全てのものと会話が出来るのだということを感じます。
真実を見るということは、当たり前に出来ることなのに、世の中の一般常識が作り出す[こうあるべき]という生き方が見えなくしているのではないでしょうか?
彼女からのヒーリングは、5大天使やアセンデッドマスターのエネルギー伝授でした。彼女の説明では、天使やマスターたちは、呼ばないと来ないのだそうです。人間に介入することを好まないのかも知れませんね。
このような存在と繋がり、助けを求めることで、不足している力を貰い、必要の無くなったエネルギーを解放することが出来るのです。遠慮をする必要がないのです。
でも、世の常識は、与えられたらお返しをしなくてはとか、頂いたら何かを取られるのではなどと、勝手に怖れを抱くことで、それらの恩恵を受け取れなくなっているような気がしました。
さて、皆様はどう思いますか?
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